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ハイデガー研×脱構築研共催シンポジウム「動物をめぐる形而上学的思考の行方―ハイデガーとデリダ」報告

 去る2016年7月31日(日)、立正大学品川キャンパスにてハイデガー研究会×脱構築研究会共催シンポジウム「動物をめぐる形而上学的思考の行方―ハイデガーとデリダ」が開催されました。
 シンポジウムでは、ハイデガーの1929/30年冬学期講義『形而上学の根本諸概念』およびデリダの『動物を追う、ゆえに私は(動物で)ある』、『獣と主権者Ⅱ』を中心に、活発な議論が展開されました。
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 まず齋藤元紀氏(高千穂大学)の提題「精神と動物について―ハイデガーとデリダ」では、しばしば別々に論じられることも多い『形而上学の根本諸概念』の前半の退屈論と後半の動物論とが「哲学知」や「ロゴス」を蝶番とすることで密接に連関していることが示されました。さらに、ロゴスが必然的に隠蔽性を孕まざるをえないこと、そして現存在を引き受けないこと、非-現存在たること、「生まれないこと」に、隠蔽性の克服の可能性があることが指摘されることで、現存在の世界に乏しい者としての動物の存在論的地位が肯定的に捉え直されました。
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 続いて、宮崎裕助氏(新潟大学)の提題「人間/動物のリミトロフィー―ジャック・デリダによるハイデガーの動物論講義」では、まず、ハイデガーの『形而上学の根本諸概念』における動物論を精査することをつうじて、人間と動物との差・区別について考察されました。一見すると、人間のほうが多様な可能性が開かれているという点で優れているように思われますが、宮崎氏の提題では、「世界が貧しい」ゆえにこそ、動物は「本質的な震撼」としての豊かさを得られることが指摘されました。その上で、宮崎氏は、デリダの痕跡などの概念を踏まえることで、そもそも人間と動物とを区別すること自体を問いに付し、単線的な区別を複線化・脱線化するリミトロフィーの可能性を提示しました。
 休憩を挟んで行われた西山達也氏とのセッションでは、齋藤氏の提題におけるロゴスの身分や「曖昧さ=二重性」などについての疑問が、また川口茂雄氏とのセッションでは、日本人とヨーロッパ人では動物観とがそもそも相違しているのではないかという問題意識から、日本人の動物観の捉え直しの必要性などが提起されました。
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 フロアとの質疑応答では、ライプニッツのモナドとの関係、動物と人間との境界線が曖昧となったあとの倫理や法律のあり方、「として構造」と存在了解との関係等、活発な議論が展開されました。議論の熱気は、シンポジウム後の懇親会にも引き継がれたようです。
by HeideggerAT | 2016-08-05 10:55
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