川口茂雄著『表象とアルシーヴの解釈学』合評会報告

川口茂雄著『表象とアルシーヴの解釈学』合評会報告

去る3月17日(日)、法政大学大学院棟201教室にて、川口茂雄著『表象とアルシーヴの解釈学』合評会が行われました。

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まず冒頭で川口氏から挨拶。「リクールを論じるにあたって、今の日本ではこれ以上ありえないほど豪華な面々」と川口氏の評する三名の論客とともに、本合評会の幕は切って落とされました。川口氏の著書は、難解で知られるリクール最晩年の大著『記憶、歴史、忘却』を論じた世界でもおそらく初めてのモノグラフィーとして、分量、内容ともにきわめて重厚なもの。合評会もそれにふさわしく、解釈学的事柄の本質に迫る本格的な議論が展開しました。

セッション①「記憶」では、川崎惣一氏(宮城教育大学)がリクール「記憶の現象学」をめぐる川口氏の理解を敷衍しつつ、非反省的で「パトス的」な想起ないし記憶のもつ「幸福」の意味とは何かを問いかけたのに対して、質疑を通してそうした想起ないし記憶の「両義性」が浮き彫りになりました。

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次いでセッション②「歴史」では、鹿島徹氏(早稲田大学)が物語り論としての歴史記述の意義をめぐって質問。それによれば、リクールの「縮尺のヴァリアシオン」は「多様な要素を統合してユニークな統一体へと統合するコンフィギュラシオンとしての物語り行為」であり、そうした物語り行為が歴史記述の「真実性要求」の基礎づけに寄与しうるものと考えられるとされます。川口氏との質疑では、この点にかんして基本的に意見の合致が見出されながらも、そこに多層性・多重性が見出されるという点が際立たせられました。

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その後約十分の休憩をはさんで、セッション③「忘却」では、佐藤啓介氏(聖学院大学)がリクールの書物とそれに対する川口氏の解釈との相関関係を踏まえつつ、そこでの川口氏の取捨選択の戦略を中心に質問。佐藤氏は、冷戦以後のきわめて現実的な文脈と場面でリクールの歴史的な知の考察を活性化させるという川口氏の独自性を評価する一方、歴史の判決・判断の根拠が「市民」という「共同体」だけに求められるものではないのではないかと指摘。「忘却」における「神の記憶」の概念と絡んでさらに展開された質疑では、「忘却」という事柄そのものの困難さが議論の中心となりました。

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続くフロアとの全体討議でも、アレントとの関係、忘却と赦しの関係などにかんする質疑が相次ぎ、予定時間を30分以上超過して終了となりました。

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狭くリクール研究に閉じこもることなく、現象学や解釈学、そして現代の政治的状況をも見据えつつ、記憶とは何か、歴史とは何か、忘却とは何か、という問いに正面からぶつかり、事柄を掘り下げてゆく川口氏のダイナミックな考察に、参加者はさまざまな刺激を受けたはずです。それだけに、次回の著書に託されたハイデガーとの対決への期待もいやがうえにも高まります。川口氏、そしてコメンテーターを務めていただいた川崎氏、鹿島氏、佐藤氏、そしてお集まりいただいたフロアの皆さんに、この場を借りて御礼申し上げます。
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by HeideggerAT | 2013-04-02 01:13
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